高校時代は無名だったプロ野球選手のエピソード

プロ野球

プロ野球では少なからずスターと呼ばれる選手がいます。

輝かしい成績を残す選手の中には高校時代に名門校出身で目立った選手もいれば、無名だけど大学時代や社会人で急成長した選手もいる。

「こんな凄い選手が元々無名だったの?」って驚くことも少なくない。

今回は現在活躍しているプロ野球選手で高校時代に無名だった選手のエピソードをまとめてみました。

糸井嘉男(外野手) 京都府出身

糸井は日本ハム→オリックス→阪神と3球団を渡り歩いた41歳(2022年現在)のベテラン選手だ。

年を取っても衰えないそのパワーに周囲からは「超人」、「鉄人」などと言われる。

そんな糸井選手でも最初から目立っていたわけでは無かった。

というか天然エピソードがヤバすぎなのが原因で無名になったと言っても過言ではないw

糸井は幼少期から運動神経が良く、中学時代はエースを担うほどの実力を持つ。

ただ、県大会進出が懸かった大事な試合の前日、練習中にベンチで休んで監督に怒られる。

監督に「もう帰れ」と言われ本当に帰ってしまったうえに、翌日の試合をボイコットしたのだ。

糸井がいなかったからかチームは敗れ県大会も無しになったので、糸井の名前が強豪校のスカウトに知られることも無かった。

そんなこんなで高校は地元の宮津高校(京都)に進学したわけだけど、不幸にも膝の皿が割れて高校2年間はリハビリに励み、3年生からようやく公式戦出場。

投手として143キロを計測するなどプロのスカウトの目に留まったが、ドラフト指名確実までに至らず高校卒業後は近畿大学に進んだ。

大学時代では今まで出し切れなかった才能を発揮し、様々なリーグタイトルを獲得して見事に日本ハムから指名を受けた。

最初は投手としてプロに入ったけど、上手くいかず打者に転向にすることに。

打者転向には2年かかると言われていたけど、糸井は持ち前の才能ですぐに打撃をマスターし、現在も阪神タイガースで活躍し続けている。

関連記事:糸井嘉男 天然エピソード

柳田悠岐(外野手) 広島県出身

柳田は福岡ソフトバンクホークスの選手で2015年にはトリプルスリーを取ってしまうほどのスター選手だ。

日本最高の打者と言われている柳田でも高校時代はそこまで目立っていなかった。

柳田の野球人生は小学3年生から始まり、当時は小柄で足が速く典型的なリードオフマンを担う。

ミート力が抜群に高く小学生時代は7回しか三振していない。

高校時代には名門の広島商業に進学して入部当初は小柄だった身長が一気に伸び始めた。

だが相変わらず線が細かった柳田は1.2年生ではベンチ入りすらできず。

それでも高校3年生では指導陣から機動力を評価され最後の夏はレギュラー入りを果たした。

けどチームは敗れ甲子園に届かなかったうえに、柳田は大学のセレクションで落ちまくって野球を辞めることすら考えていた。

そこで監督から「お前は将来絶対良い選手になれる」と励まされ熱意を取り戻す。

柳田本人曰く、監督の言葉が無ければ本当に野球を辞めていたかもしれないと言っていた。

関東の強豪大学を諦め、広島経済大学に進学した柳田はとにかく身体を鍛えまくる。

大学4年間で身体が急成長し高校時代とは比べ物にならない。

逞しくなったガタイで大学時代の公式戦で打率4割と圧倒的な成績を残した。

ついにスカウトの目に留まってソフトバンクから2位指名を受ける。

最初はプロのレベルに戸惑うも逆方向への力強いバッティングを身に着け、そこから先の活躍は目覚ましいものだった。

2019年の盗塁でのケガに苦しみながらも彼は日々精進していく。

千賀滉大(投手) 愛知県出身

千賀は福岡ソフトバンクホークスの選手で最速はなんと161キロを計測するなど剛腕すぎる投手だ。

こんなに速いのなら野手に比べて高校時代に名が知られているイメージが大きいけど、そもそも中学までは投手すらやっていなかったのだ。

中学時代に投手をやらなかったのは成長痛が酷くてサードをやっていたから。

成長痛のおかげで身長が150センチから176センチまで伸びて地元の蒲郡高校に進学してからは痛みも治った。

千賀は高校でもサードをやろうと意気込んでいたが、監督は千賀がキャッチボールしている様子を見て投手に抜擢した。

とはいっても投手を始めたころの最速は120キロ程度。

今では考えられない数字だったが、千賀は身体をデカくするためにとにかく食べまくり走り込みも行った。

体力づくりのおかげで3年夏ごろには球速が144キロまで伸びて立派なエースに成長。

でも愛知の予選は厳しく、最後の大会は3回戦で敗退。

千賀は自信を無くしてプロに入れるわけないと思ってたが、ソフトバンクが育成4位で指名。

実はは愛知県でスポーツ店をしているおじさんが千賀を見て、この素材を埋もれさせるのは勿体ないと思い、知り合いのスカウトに片っ端から連絡をかけていた。

中々千賀を認める球団がいない中、ソフトバンクが千賀を評価したというわけ。

育成指名のため、浮かれることなく自分の投球と向き合い試行錯誤しながら今に至る。

佐藤輝明(外野手) 兵庫県出身

佐藤は2021年に阪神タイガースに入団して一気に名を轟かせた選手だ。

小さいころから運動神経が良く、小学生時代は地元でも有名だった。

野球への熱はすさまじくタイガースジュニアに選ばれるほどの実力を持つ。

しかし中学に上がる前にけがをしてしまい、中学では野球から離れ高校に入るころにはすっかり野球熱が冷めていた。

仁川学院高校(兵庫)入学当初も野球どころかサッカー部に入ろうかと悩むほど。

結局は無事に野球部に入ったものの、中学時代のブランクを取り戻す時間が長かったため遅咲きで高卒プロへの道は絶望だった。

それでも高校3年生ではホームランを量産し、そこそこ良い成績を残していたことから近畿大学に進学を決める。

大学時代では練習の鬼となり、持ち味のパワーを存分に発揮してドラフトでは4球団の競合の上、文句なしの1位で阪神に入団した。

甲斐拓也(捕手) 大分県出身

甲斐は福岡ソフトバンクホークスの選手で、「甲斐キャノン」ことレーザービームが特徴の選手だ。

2018年に大ブレイクし今ではソフトバンクの主力なのだが、元々は育成6位指名で入団していた。

兄の影響で小学1年生から野球を始めたけど、このころはまだ捕手ではなく内野手を務めた。

小学生時代で鍛えた脚力を活かして中学からは内野をやりながら捕手を始める。

高校も兄と同じ楊志館高校に進学して、本格的に捕手というポジションに取り組んだ。

体格はそこまで大きいわけでは無いけど、高校通算ホームランが40本と規格外のパワーを見せる。

しかし甲子園までの道のりは果てしなく遠く、高校3年の夏にはまさかの初戦敗退でプロのスカウトにアピールするチャンスすら無かった。

甲斐は就職するか進学するかで迷ってたけど、それを見かねた監督がソフトバンクのスカウトに甲斐をテストするように連絡してくれた。

その頃のソフトバンクはちょうど3軍を設けていて将来性のある選手をスカウトする方針だったので、テストで結果を出した甲斐にもチャンスが巡る。

晴れて育成指名でソフトバンクに入団した甲斐は活躍を意気込むも、プロの投手の球が速くて最初はよくボールをはじいていた。

悩んだ甲斐は母親に連絡して助言を貰い、それを励みに努力を重ねる。

それからは取ってから投げるテンポを速くする特訓をし、他の選手を参考にしながら急成長を遂げた。

まとめ

いかがだったでしょうか。

プロで目立ってる選手も元から輝いてたわけでは無いんですね。

運動神経は生まれつきで決まる部分もあるかもしれないけど、努力無くして栄光はつかめない。

これからの新たなスター登場に注目です。

今回は本記事をご覧いただきありがとうございました。

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